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5月, 2023の投稿を表示しています

コロンビア国立博物館(Colombian National Museum)

歴史 1823年の共和国議会で博物館の設立が決定した。当初は鉱物の収集に重点が置かれ、植物園の中の建物が利用された。後に数度の移転を経て1948年に現在の建物に落ち着いた。

梅田スカイビル(Umeda Sky Building)

概要 地上40階、地下2階、高さ約173メートルの超高層ビルである。設計は原広司。京都駅ビルや札幌ドームなどの作品で知られる。その独特の形状から梅田のランドマークとなっている。

龍安寺(Ryoan-ji)

歴史 細川勝元らと山名宗全らが争った応仁の乱の際、細川勝元は東軍の総大将だったため、龍安寺は西軍の攻撃を真っ先に受け、1468年に焼失した。勝元は寺基を洛中の邸内に一時避難させた後、旧地に戻すが、勝元は1473年に没す。

アレーナ・ディ・ヴェローナ(Verona Arena)

その利用~中世~ 中世においてこのアレーナは何ら定期的な催事をもたなかったと考えられている。1278年、200人の異教徒をアレーナで火刑に処したとの記録があり、またアルコープは各種商人、娼婦などによって占拠・利用されていたらしい。

日本武道館(Nippon Budokan)

概要 1964年東京オリンピックの柔道競技会場として建設され、同年10月3日に開館した。設計は山田守、施工は竹中工務店、総工費は当時の金額で18億円である。

神戸ポートタワー(Kobe Port Tower)

概要 以降、神戸港のシンボルとして広く知られ、修学旅行などの観光客が港町神戸を学習する際にその多くが立ち寄る拠点ともなっている。中には売店・レストラン・展望台がある。

アルカトラズ島(Alcatraz Island)

歴史~軍事刑務所化~ 米西戦争の時は、フィリピンへの遠征で熱帯病に罹患した帰還兵がアルカトラズ島の病院に収容されたり、身柄を拘束された兵士が多数収監されたりした。新たな刑務所棟が必要となり、1900年、閲兵場にアッパー・プリズンが建設された。ロウアー・プリズンは囚人の運動場となったが、1902年の火事でロウアー・プリズンは危うく焼けるところであった。

バレンシア大聖堂(Valencia Cathedral)

歴史 かつてこの場所には西ゴート族の大聖堂があり、ムーア人の元ではモスクとして使用されていた。バレンシア大聖堂の大部分は13世紀から15世紀の間に建てられた。主にゴシック様式が用いられているが、何世紀にもわたって建設が続いた結果、初期ロマネスク様式、バレンシア・ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式、新古典主義様式などが混在している。1931年には重要文化財に指定された。

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂(Cathedral-Basilica of Our Lady of the Pillar)

歴史~ピラールの出現~ 古くからの地元の言い伝えでは、キリストの磔と復活の後、ヤコブはスペインに福音書をもたらしたが、伝道に失敗し彼は意気消沈してしまった。言い伝えでは紀元40年1月2日、彼がエブロ川の岸辺で深く祈りを捧げていると、神の母が彼の前に出現し、自分自身を模した小さな木像と碧玉の柱を与え、彼は教会に建てるよう命じた。

平和宮(Peace Palace)

建設 1907年の第2回万国平和会議に出席した各国は、建設される平和宮のために様々な物を寄贈した。ロシアは3.2トンの巨大な壺、ベルギーは扉、イタリアは大理石、デンマークは噴水、日本は壁掛け用の絨毯、スイスは鐘楼用の時計、ペルシャはペルシャ絨毯、インドネシア、ブラジル、アメリカの各国は木材、ドイツは鍛鉄用の柵を寄贈した。

聖ソフィア大聖堂(Saint Sophia Cathedral, Kyiv)

歴史 ルーシ年代記によれば、聖ソフィア大聖堂は1017年ないし1037年にキエフ大公国のヤロスラウ大公によって建立されたのである。また、同じの年代記の伝説によれば、その大聖堂はヤロスラウがペチェニーヒの大軍を破り、大勝利を得た場所に建てられたという。

アルバニア国立図書館(National Library of Albania)

収蔵点数の変化 アルバニア国立図書館の収蔵点数の変化は下表に示すとおりである。

アタテュルク廟(Anitkabir)

概略 アンカラ市街南東の丘の上に位置し、廟が建設される以前はラサットテペと呼ばれ、紀元前8世紀頃のフリギア人の古墳があった。この古墳は廟が建設される際に発掘調査されたのち取り壊された。

イラク国立博物館(Iraq Museum)

概要 5,000以上の歴史を持つ遺物、メソポタミア文明の遺物などの世界でも屈指の考古学コレクションが、28のギャラリーに展示されていたが、2003年のイラク戦争の騒乱に乗じて約1万5000点の像などが密売目的で略奪された。その後、イラク国内外で発見された約6000点が返還されているが、約7000点は今も行方不明である。

マリーナベイ・サンズ(Marina Bay Sands)

概要 ラスベガスのカジノリゾート、ラスベガス・サンズによって開発された。500のテーブルと1,600のスロットマシーンが並ぶ、単独としては世界最大のカジノを中心に、2,561室のホテル、12万平方メートルのコンベンションセンター、7万4千平方メートルのショッピングモール、美術館、シアター、グラスパビリオンなどを含んだ複合リゾートとなっている。タワー1、2、3と3つの超高層ビルを屋上で連結した構造である。設計はモシェ・サフディ、建設は韓国の双竜建設。

モハメド・アル・アミン・モスク(Mohammad Al Amin Mosque)

概要 ベイルートのランドマークともいえるモスクで、非常に存在感のある美しいモスクでした。内戦時は、このモスクの前が東西の境界線になったとのことです。

ノートルダム大聖堂(Notre-Dame de Paris)

歴史~建設~ ノートルダム大聖堂の歴史は、1163年、国王ルイ7世臨席のもと、ローマ教皇アレクサンデル3世が礎石を据えたことに始まる。建築工事の大半は司教モーリス・ド・シュリーとその後継者オドン・ド・シュリーが指揮を執って進められた。

国立マルク・シャガール美術館(Musee National Marc Chagall)

概要 ユダヤ系リトアニア人のシャガールの生没年を見ても分かる通り、シャガールはかなり長命であったとともに、20世紀のユダヤ人の歴史を経験した芸術家であることが分かる。

スポンザ宮殿(Sponza Palace)

概要 ここには、造幣局と武器鋳造所もありました。パスコイェ・ミリチェヴィッチにより、正面の涼み廊下と中庭のある四角い形に設計され、16世紀に建てられました。豊富にある石細工のほとんどは、アンドリイッチ兄弟による作品です。

母なる祖国像(The Motherland Calls)

概要 巨像の地下には近年、地下水位の大幅な変動が見られ、基礎を揺るがし巨像は急速に傾いてきているという。像の基礎はその重量だけで保持されているため、将来的な崩壊が危惧されている。

クル=シャーリフ・モスク(Kul Sharif Mosque)

概要 この他、カザン・クレムリン内の重要な建築としては、コンスタンチン・トーン設計によるタタールスタン共和国大統領宮殿がある。大統領宮殿が建つ場所はかつてのカザン・ハーンの宮廷があったと推定される。大統領宮殿とスュユンビケ塔に挟まれる場所に宮殿教会がある。中世期にはモスクがあった。

竜の橋(Dragon Bridge, Ljubljana)

概要 1895年のリュブリャーナ大地震によって崩落した肉屋の橋の代わりに、リュブリャナ市長イヴァン・フリーバルの任期中に新しい鉄筋コンクリートの橋が建てられた。リュブリャーナ初の鉄筋コンクリートの橋であった。

イエスの聖心大聖堂(Sacred Heart Cathedral, Sarajevo)

概要 イエスの聖心大聖堂はイエスの聖心を称えて建てられた。建築家のヨシップ・ヴァンツァシュがパリのノートルダム大聖堂をモデルにゴシック・リヴァイヴァル建築を用いてデザインした。建造は1884年8月25日に始まり、1889年の8月に完了した。聖別は、ドゥブロヴニク主教によって行われた。

オス城(Osu Castle)

歴史 1550年、この地域に及んだ最初のヨーロッパ勢力はポルトガルだった。しかし17世紀にはポルトガルの影響力は弱まった。この地域は、1650年代にオランダ出身の商人、ヘンドリック・カーロフの先導によってスウェーデンの勢力下に入った。1652年に、彼は以前に取引を行っていたアクラ王から小さな要塞化された拠点を建設する許可を得た。

リガ大聖堂(Riga Cathedral)

歴史 リガ大聖堂は、1211年ローマ教皇の命を受けたアルベルト司教によって建てられた聖堂。この地の布教活動の拠点となった場所でした。約5世紀に渡って増改築が繰り返されたため、創建当初はロマネスク様式の建物でしたが、その後、初期ゴシック様式、バロック様式へと改築され、さまざまな建築様式が融合した大聖堂となりました。現在の姿になったのは、18世紀後半のことです。

ムハンマド5世廟(Mausoleum of Mohammed V)

概要 ムハンマド5世は、オスマン帝国の35番目のスルタンであり、初期にイスラームの伝統的な教育を受け、オスマン帝国の歴史とペルシャ文学を研究しました。霊廟の入り口にある、鮮やかな色の軍服を着た王室の騎兵隊は、写真を競う観光客のターゲットです。

聖トーマス教会(St. Thomas Church)

歴史 この教会はドイツ福音主義教会に加盟しているザクセン福音ルター派州教会に属している。12世紀から原型となる教会が存在したが、現在の建物は1496年に献堂式が行われた。

シュトゥットガルト大学(University of Stuttgart)

概要 シュトゥットガルト大学はドイツ、バーデン=ヴュルテンブルク州の州都シュトゥットガルトにある大学で、1829年に創立された。人文科学科、経営学科などもあるが工科大学として有名で、土木工学・機械工学・生産技術・電気工学の分野が特に優れているといわれている。

ジョージア州会議事堂(Georigia State Capitol)

構造 ジョージア州会議事堂は、多くの州会議事堂と同様に、ルネサンス建築様式の合衆国議会議事堂にインスパイヤされて設計された。設計を行ったのはイリノイ州シカゴの建築家ウォロビー・エドブルックとフランクリン・バーナムであり、オハイオ州トレドにおいて図面が描かれた。

インド博物館(Indian Museum)

歴史 インド博物館は、1784年にウィリアム・ジョーンズ卿が始めたベンガルのアジア協会にその起源がある。協会の会員たちが収集した人工物・自然物を保管・管理・展示するための博物館設立の企画が、1796年に会員たちから持ち上がった。

ホーエンザルツブルク城(Hohensalzburg Fortress)

概要 ホーエンザルツブルク城は、町のほとんどどこからでも見ることができ、1.3キロメートルにわたって続く高さ約50メートルの高地をなしている。一番高い場所の標高は508メートルである。

サン・マルコ寺院(St Mark's Basilica)

歴史 統領によって支配されていたヴェネツィアはラヴェンナの属領で、751年にラヴェンナが東ローマ帝国の領土から失われて以降も、名目上では東ローマ帝国の宗主権下にある自治領という扱いであった。しかし、歴代総督は隣国の勢力を巧みにあしらって独自性を保ち続け、交易によって巨万の富を得ることになった。

ベルリン大聖堂(Berlin Cathedral)

特徴 もともとの教会がヴィルヘルム2世の命令によって1905年に建て替えられ、現在の姿となった。王家ゆかりの人々の墓碑などがある。114メートルの高さをもつ天蓋は第二次世界大戦で被害を受けたが、1993年に修復され現在の姿を取り戻した。270段の階段を昇って天蓋部分へ出ることもできる。

シドニー・ハーバー・ブリッジ(Sydney Harbour Bridge)

概要 深く入り組んだポート・ジャクソン湾の南岸にあるシドニーと、北岸にある近郊の町を道路と路面電車で繋ぐため、1923年に着工、1932年に完成したシングルアーチ橋である。

マルセイユ美術館(Musee des beaux-arts de Marseille)

コレクション プロヴァンス地方で活躍したエコール・ド・プロヴァンスの画家たちの作品が中心に展示されている。

バーミンガム美術館(Birmingham Museum and Art Gallery)

概要 絵画だけでなく陶磁器、宝石、考古学や民族学上の重要な品物も所蔵している。また、ラファエル前派のコレクションが充実しており、特にエドワード・バーン=ジョーンズのコレクションはどの美術館よりも充実している。

聖サワ大聖堂(Church of Saint Sava)

概要 大聖堂はセルビア正教会の創建者であり中世セルビアにおいて重要な人物である聖サワを記憶している。オスマン帝国のシナン・パシャによって1559年に不朽体が焼かれた場所であると考えられているヴラチャルに建てられている。この場所からはベオグラードの景色が一望できる。おそらく首都でも最も記念碑的な建造物となっている。大聖堂の建築はもっぱら寄附に拠っている。総主教邸は近くにあり、総主教館となることが予定されている。

ダンシング・ハウス(Dancing House)

概要 冷戦終結後、チェコが民主化、スロバキアとの分裂を経て、ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領の時代に建てられた。かつてこの土地の隣にある建物にハヴェルの実家があり、ウラジミール・ミルニッチが下宿していたのが縁で、ハヴェルの後援のもとにミルニッチとフランク・ゲーリーが設計した。

ヘイダル・アリエフ・センター(Heydar Aliyev Center)

概要 設計はイギリスの建築家ザハ・ハディッド。2011年に放送されたディスカバリーチャンネルの番組『エキストリーム・エンジニアリング』ではアゼルバイジャンの都市開発に登場している。2012年5月12日にイルハム・アリエフ大統領が出席して完成式が行われ、正式に落成した。

ビショップ博物館(Bishop Museum)

概要 1889年に設立させた、ハワイでも最大の博物館。特徴として、ポリネシアの文化に関連したコレクションが数多く展示されている点などが挙げられる。昆虫の標本が多いことでも知られ、その数およそ1350万に上るコレクション数は、アメリカ合衆国全体でも3番目に多いという。1982年7月26日に、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。

横浜ランドマークタワー(Yokohama Landmark Tower)

概要 その名の通り、みなとみらい地区のランドマーク・シンボルとなる超高層建築物である。「タワー棟」と低層の「プラザ棟」からなり、タワー棟のオフィス、横浜ロイヤルパークホテル、スカイガーデン、プラザ棟のランドマークプラザ、ランドマークホールなどから構成される。最上階の70階は、ホテルのスカイラウンジと宴会場になっている。

ブラジリア大聖堂(Cathedral od Brasilia)

建築 設計はブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤー。大聖堂は16本の巨大な梁で円形の無柱空間を内包している。梁の曲線は双曲面構造を元にしており、間に透明な繊維強化プラスチックパネルが取り付けられている。大聖堂の周囲は幅12mの池となっており、地下トンネルを通って中に入る。祭壇はローマ教皇パウロ6世から寄贈されたものである。天井から3体の天使像が吊り下げられている。

トゥルナン寺(Jokhang)

歴史 チベットを統一した吐蕃第33代のソンツェン・ガンポ王に中国より嫁いできた文成公主により、7世紀に建立された。2000年に世界遺産、ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群に追加登録されている。中国の5A級観光地でもある。

アーラムギール・モスク(Alamgiri Mosque)

歴史 17世紀、アウラングゼーブによって建設された。「アーラムギール」とはアウラングゼーブが帝位についた際、名乗った称号である。アーラムギール・モスクはヒンドゥー寺院の跡地に立っているといわれ、その建築資材にはヒンドゥー寺院のものがつかわれているとされる。

伏見稲荷大社(Fushimi Inari-taisha)

境内~山麓~ 表参道の一番鳥居から楼門、外拝殿、内拝殿、本殿が一直線に並ぶ。本殿の背後に、斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群がある。千本鳥居をはじめとする信者の寄進による鳥居は山中に約一万基あると言われる。本殿右には稲荷神明水がある。

国会議事堂(National Diet Building)

施設 議事堂内の管理範囲としては、中央部の中央玄関、中央広間、御休所、中央塔が参議院の所管、玄関前庭が衆議院の所管、中央塔4階の国会図書館国会分館が国立国会図書館の所管となっている。

グリフィス天文台(Griffith Observatory)

歴史 天文台のある土地は、メキシコの銀鉱で財産を作った資産家のグリフィス・ジェンキンス・グリフィスが1896年にロサンゼルス市に寄付したもので、面積は1220ヘクタール。グリフィスがヨーロッパを旅行した時、整備された美しい公園に感心したのがきっかけであった。ロサンゼルスの町の美化のため、市民の憩いの場所として、自分の名を冠した公園を作ってほしいと注文を付けた。

タイムズスクエア(Times Square)

概要 マンハッタン島の42丁目と7番街、ブロードウェイの交差を中心に位置し、東西は6番街から9番街まで、南北は39丁目あたりから52丁目あたりに広がるが、厳密な境界はない。いわゆるブロードウェイ・ミュージカルは上演されている各シアターが所在するシアター・ディストリクトの中心とほぼ一致する。

北京国家体育場(Beijing National Stadium)

概要 2002年、中国政府が開催した国際建築設計競技でスイスの建築家ユニットであるヘルツォーク&ド・ムーロンの手により構造設計でアラップ社が、中国側は主任設計者として中国建築設計研究院の李興鋼、芸術顧問として中国の現代美術家の艾未未が協力した案が採用された。その独特の形状から愛称は「鳥の巣」である。大きさは330m×220mで、高さは69.2mもある。総工費は35憶元。

ロンドン・アイ(London Eye)

概要 高さ135mは開業当時、日本のパレットタウン大観覧車を上回り世界一であったが、2006年に営業開始した中華人民共和国の南昌之星にその座を奪われた。開業時期に関して、該当する観覧車の駆動方式に関する期限ギリギリの特許があったが、期限内に建造してしまった後、営業開始を期限切れ直後にするという。特許制度の際どいタイミングを利用したというエピソードがある。