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1月, 2024の投稿を表示しています

カオサン通り(Khaosan Road)

概要 外国人バックパッカーの溜まり場として知られる。「カオサン」とはタイ語で「白米」の意味だが、元々はこの周辺に米問屋が多かったことに由来する。300メートルほどの通りにはバックパッカー向けのホテルやゲストハウスが軒を連ね、レストラン、インターネットカフェ、旅行会社、古本屋、ランドリー、衣料品店、土産物店等、旅行者に必要な店がずらりと並ぶ。

日比谷公園(Hibiya Park)

概要 日比谷の地名を冠する施設・エリアの一つである。霞が関、有楽町、内幸町と隣接し、銀座にも近い。日比谷公園東側の日比谷通り一帯が「日比谷」と呼ばれる。

キリング・フィールド(Killing Fields)

概要 クメール・ルージュの秘密警察である「サンテバル」は、知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害した。後には、クメール・ルージュの地方機関や事業所の幹部までもが反乱の恐れ有りとして殺害されていった。

ホーチミン市民劇場(Municipal Theatre of Ho Chi Minh City)

建築 ホーチミン市民劇場は、1901年から1911年にかけて建設されたハノイ歌劇場よりも規模が小さい。パリのオペラ・ガルニエに似せた800席を有する劇場として建築され、フランス人入植者らを楽しませた。

水上人形劇(Water puppetry)

概要 人形の動作には躍動感があり、舞台が水上である点が活かされている。演奏される音楽は紅河デルタ地方の伝統的な音楽のほか、宮廷音楽の影響も受けていると考えられている。

ムルデカ・スクエア(Independence Square, Kuala Lumpur)

歴史 1957年8月31日午前0時に、この広場に掲げられていたユニオン・ジャックが降ろされ、代わってマラヤ連邦国旗が掲揚された。なお、マラヤ連邦独立記念式典は、同日日中にムルデカ・スタジアムにおいて行われている。旗竿の高さは95メートルである。

スリ・マリアマン寺院(Sri Mariamman Temple, Singapore)

設立者 スリ・マリアマン寺院は、イギリス東インド会社からシンガポールに貿易の入植地を建設した年から8年後、1827年にインド人ナライナ・ピレイにより創設された。

横浜アリーナ(Yokohama Arena)

沿革 横浜市制施行100周年・横浜港開港130周年を迎える1989年に、横浜博覧会などと共に記念事業の一環として建設された。麒麟麦酒、横浜市、プリンスホテルが出資する第三セクターとして運営される。横浜文化体育館を大きく上回る県内最大規模の屋内施設としてオープンし、新横浜駅からのアクセスも良いことから、コンサートやスポーツ、企業式典など、あらゆる用途に利用されており、アリーナ稼働率が9割を超えることもある。日本音響家協会の「優良ホール100選」にも選ばれている。

ジュネーヴ・モスク(Geneva Mosque)

概要 このモスクは、サウジアラビア王のハーリド・ビン・アブドゥルアズィーズとスイス連邦大統領のウィッリ・リッチャートによって創設され、スイス最大のモスクとなっている。建物は、1,500人の信者を収容できる。モスクのイマームは、Yahya Basalamah。

リートベルク美術館(Rietberg Museum)

組織と運営 チューリッヒ市の市長管轄の部門によって運営されている。2007年には100人近いたちを雇用した。運営資金のほぼ半分は市の出費で、残りの半分は税金やスポンサー、慈善団体からの収入で賄われている。新規の購入資金はほとんどが寄付によるものである。

パウル・クレー・センター(Zentrum Paul KLee)

概要 センターの設計は、イタリア人の国際的に有名な建築家、レンゾ・ピアノであり、ベルン郊外の丘陵地帯にある半円形のフォルムの建造物である。館内には音楽ホールやレストランも併設されており、ベルン市内から市電または市バスでアクセスできる。

アントワープ王立美術館(Royal Museum of Fine Arts Antwerp)

沿革 美術館のコレクションは14世紀後半から1773年まで存続した、アントウェルペンの画家の組合が所有した美術品コレクションにはじまり、このコレクションは組合が解散した後は、ダフィット・テニールスらによって1663年に設立された美術学校に引き継がれた。コレクションの中には、ピーテル・パウル・ルーベンスやヤーコブ・ヨルダーンス、コルネリス・デ・フォスといったアントウェルペンで活動した画家の作品が含まれていた。

小便少女(Jeanneke Pis)

概要 レストランのオーナーが客寄せのために、彫刻家のドニ=アドリアン・デボヴリによって1985年に制作され、1987年に落成式が行われた。

モーツァルトのための劇場(Haus fur Mozart)

歴史 1960年祝祭大劇場の完成とともに、これまでの祝祭劇場は『祝祭小劇場』と改称され、モーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』やリヒャルト・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』などの比較的小規模のオペラの舞台となった。1963年の改修記念として、ロリン・マゼールの指揮によるモーツァルトの『フィガロの結婚』が上演された。この時点でのホールの規模は1,324の座席と60の立ち見席である。

ヨハン・シュトラウス記念像(Johann Strauss Memorial Statue)

歴史 1921年に、ウィーンの市立公園『シュタットパーク』に建立された。6月26日の除幕式では、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がこの記念像の前でワルツ『美しく青きドナウ』を演奏した。

ミュージアムパーク(Museumpark)

概要 公園は、1987年からロッテルダム自然史博物館となっている建物に住んでいたホーボーケン家の旧地につくられた。

ピートン橋(Python Bridge)

説明 建造されたのは2001年で、2002年には「国際人道橋賞」を受賞した。赤を基調としており最大支間長は90メートルである。ウェストエイト所属のアードリアーン・フーゼが設計した。

ソナ・ロサ(Zona Rosa, Mexico City)

概要 ソナ・ロサはフアレス地区の99のブロックのうち24ブロック分に相当し、北はレフォルマ通り、西はバルソビア通り、東はインスルヘンテス通り、南はチャプルテペク通りに囲まれた一帯である。

サンパウロ・ビエンナーレ(Sao Paulo Art Biennial)

歴史 サンパウロ・ビエンナーレを創設したのは、ブラジルの美術や演劇を支援してきたイタリア系ブラジル人実業家、シッシロ・マタラッツォである。

ガベア競馬場(Hipodromo da Gavea)

概要 1926年に設立され、クラブハウスやグランドスタンドは1920年代当時の雰囲気を残している。

ブラジル中央銀行(Central Bank of Brazil)

概要 ブラジル中央銀行は1964年12月に、前身となる貨幣金融局、ブラジル銀行、及び国庫から権限を譲渡されて設立された。ブラジル中央銀行の主な業務として、基本政策金利の決定を行っている。

イスタンブールの地下宮殿(Basilica Cistern)

概説 この大会堂規模の大きさを持つ貯水池は、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスによって建設されたものである。かつてここには柱廊によって囲まれた中庭を有するフォルムのような空間があり、裁判や商業活動に利用されていた。ユスティニアヌス帝はこれを解体し、最も南にあった柱廊の部分を掘り下げて、この貯水槽を設置した。

ローマとアウグストゥス神殿(Temple of Augustus and Rome)

「アンキューラ記念碑」 西暦14年のアウグストゥスの死後、『神君アウグストゥスの業績録』のコピーがラテン語でプロナオスの内側の両方の壁に刻まれ、ギリシャ語の翻訳がセラの外壁に刻まれた。ローマにあったアウグストゥス廟の入り口の青銅の柱に原文は刻まれていたがのちの時代に失われ、ピシディア地方のアポロニアやアンティオキアなどから見つかった他の2つの碑文も不完全であったため、「アンキューラ記念碑」は現存する重要な史料である。

アギア・ソフィア聖堂(Hagia Sophia, Thessaloniki)

構造 アギア・ソフィアは、円蓋式バシリカと呼ばれる形式の教会堂であるが、身廊が浅いヴォールトで十字型になっているため、クロス・ドーム・バシリカ、あるいは単にクロス・ドーム型とも呼ばれる。

アテナイのアクロポリス(Acropolis of Athens)

歴史~ペリクレスの建築計画~ 重要な神殿のほとんどは、アテナイの黄金時代の間にペリクレスの指導のもと再建された。偉大なアテナイの彫刻家であるペイディアスが総指揮をとり、イクティノスとカリクラテスという2人の有名な建築家がこの再建に責任を持った。紀元前5世紀の間に、アクロポリスは最終的な形を手に入れた。紀元前466年のエウリュメドン川の戦いに勝利した後、キモンとテミストクレスは北側と南側の壁の再建を命じ、ペリクレスはパルテノン神殿をイクティニスとカリクラテスに委ねた。

エルデネ・ゾー(Erdene Zuu Monastery)

沿革・歴史 社会主義のモンゴル人民共和国が成立すると、宗教活動も制約を受け、1937~1938年のヨシフ・スターリン政権下では、寺域内の多くの建物が破壊され、15基の建物のみが残った。

モンゴル国立大学(National University of Mongolia)

概観~ビジョン~ 「世界レベルの大学」になることを目標としている。具体的に2024年までに伝統的な「リベラルアーツ」に基づき、地域の主要な研究大学になり、アジアのトップ100大学の1つになることを掲げている。

ロシア美術館(Russian Museum)

コレクション ロシア美術館は世界有数の美術館コレクションを収蔵する美術館のひとつである。美術館は、彫刻、小美術品、絵画、イコン、デッサンなどのコレクションを収納している。所蔵品は約37万点を数え、年々増大している。本館であるミハイロフスキー宮殿の他、別館として、ストロガノフ宮殿、大理石宮殿、ミハイロフスキー城がある。

トレチャコフ美術館(Tretyakov Gallery)

歴史 トレチャコフ美術館は、歴史的には1851年にモスクワの商人で工場主であったパーヴェル・ミハイロヴィッチ・トレチャコフとセルゲイ・トレチャコフの兄弟が自邸に開いた美術ギャラリーから始まった。トレチャコフ兄弟により様々なロシアの芸術家たちの作品が収集され、現在ではロシア最大級の美術館のひとつにまで成長した。

釜山市立美術館(Busan Museum of Art)

沿革 1994年12月に建設工事を着工し、1998年3月20日に開館。2010年5月31日、金蓮山ギャラリー開館。隣接した土地に、李禹煥本人が設計した李禹煥ギャラリー開設。

光化門(Gwanghwamun)

沿革 李成桂による漢陽遷都の際、景福宮の正門として建設された。当初は四正門。

魯迅公園(Lu Xun Park)

概略 当初公園は「虹口娯楽場」と呼ばれ、イギリス人園芸家によって設計されたため西洋式庭園であり賭博場が設置されていた。1922年に「虹口公園」と改称された。

南京長江大橋(Nanjing Yangtze River Bridge)

概要 完成当時は鉄道道路併用橋としては世界最長であった。またこの開通によって、かつては長江で分断されていた京滬線がつながり、北京と上海が鉄道で直結された。

武漢長江大橋(Wuhan Yangtze River Bridge)

概要 新中国成立後、ソビエト連邦の技術協力により長江にはじめて架けられたのがこの武漢長江大橋である。その後、1959年に重慶の白沙陀長江大橋が架けられた。その後、中ソ対立の影響で1960年にソ連側技術者が引き上げたことにより、3番目に造られた南京長江大橋は、中国独自の技術で架橋されたはじめての長江大橋となった。

チベット博物館(Tibet Museum, Lhasa)

概要 1994年7月にチベット自治区成立30周年を記念したチベット援助62プロジェクトの一つとして建設が始まり、1999年10月に中華人民共和国成立50周年とチベット民主改革40周年を記念して一般公開された。建物は現代建築とチベット建築の融合で建てられている。

ホテル・リスボア(Hotel Lisboa Macau)

ロブション・ア・ガレア ジョエル・ロブションが所有するレストラン「ロブション・ア・ガレア」は2008年にミシュランガイドで3つ星を獲得した。このレストランはホロホロチョウとフォアグラのローストといった欧州料理をアラカルトメニューで提供している。レストランはグランド・リスボアの最上階に移転し、「ロブション・オ・ドーム」と改名した。

九龍公園(Kowloon Park)

概要 繁華街の中にありながら約13haの面積を持つ。朝方には太極拳や剣舞・中国将棋を楽しむ人々の姿が見られる、中華圏ではごくありふれた公園である。噴水広場や中華庭園・野鳥園・展望台などが点在している。

中国国家大劇院(National Centre for the Performing Arts, China)

概要 元々は1998年に当時の江沢民党総書記・国家主席が、国家大劇院を建設すると発表したことに始まり、2007年12月に正式にこけら落とされた。

カフラー王のピラミッド(Khafre's Pyramid)

概要 高さ:143.87m、底辺:215.29m、勾配:53度10分。四角錐の頂上部分には石灰石の化粧石が残っている。参道の入り口には、スフィンクスがピラミッドを守護するように建っているが、スフィンクスの建てられた時代には諸説ある。

ナースィル・ムハンマド・モスク(Al-Nasir Muhammad Mosque)

歴史~建設~ モスクが完成するとナースィルは、カイロとフスタートのすべてのムアッジン・説教者・朗誦者を召集し、誰がシタデルの自身のモスクに仕えるに相応しいかスルターン自らそれぞれの職能を確かめ、ムアッジン20人のほかモスクの役職に最適な人材を選定した。

ザフラー宮殿(Madinat al-Zahra)

概要 イベリア半島のムスリム政権である後ウマイヤ朝の時代に建設された。アミールからカリフとなったアブド・アッラフマーン3世が、首都コルドバの離宮都市として、寵妃の名を冠して建設したとされる。シエラ・デ・コルドバの花嫁の山の中腹に位置し、南方にグアダルキビール川と平原をのぞむ。

カナリア諸島博物館(Museo Canario)

概要 19世紀末に建てられた建物の中にあるこの博物館は、カナリア諸島の文化を専門とする機関としては、カナリア諸島で最大の規模を誇るものです。

アルカサル(Alcazar of Toledo)

歴史 3世紀にローマ帝国の宮殿として建てられた。

スペイン広場(Plaza de Espana, Seville)

概要 著名な映画のロケで使われた例が2つ。一つは『アラビアのロレンス』で英軍が逗留するカイロのホテルとして。もう一つは映画『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』でアナキン達が惑星ナブーに着いた直後のシーンである。

ピカソ美術館(Museu Picasso)

概要 パブロ・ピカソの友人で秘書を務めたジャウメ・サバルテスの個人コレクションとバルセロナ市所蔵のピカソ作品を基礎に1963年に開館、のちに画家本人やその家族・友人からの寄贈を受け、さらにコレクションを拡大した。

オリエンテ広場(Plaza de Oriente)

歴史~フェリペ4世騎馬像~ イタリア人彫刻家ピエトロ・タッカが、ディエゴ・ベラスケスの描いた肖像を参考に頭部をつくり、胸部をフアン・マルティネス・モンタニェースがつくった。父フェリペ3世の騎馬像より優れた自分の像が欲しいというフェリペ4世が望み、命令を受けたオリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマンが具体的に騎馬像製作の指示を出した。1843年、イサベル2世の命令でオリエンテ広場に設置された。像は東を向いている。

エレファンタ石窟群(Elepanta Caves)

概要 現在のカルナータカ州を治めたラーシュトラクータ朝時代から残る彫刻がある。列柱ホールの最深部の壁面に残る3面のシヴァ神は、高さ5.7メートルある。

インド国立図書館(National Library of India)

概要 インドの独立以前は、インド総督の公式な住居であった。前身にあたる1891年に設立された帝国図書館は政府の上級職員に限定されていった。1948年に国立図書館に改名されると同時に、EsplanadeからBelvedereに移転され、1953年に一般開放された。1976年に国立図書館からインド国立図書館に改名される。

アクバル廟(Tomb of Akbar)

歴史 1605年にアクバルが死亡したのち、アーグラのシカンドラーで建設が始まり、1613年に建築が終了した。1687年、アウラングゼーブの治世にアクバル廟はジャートによって荒らされた。その際、廟の高価な宝石類や金銀の硬貨は持ち出され、アクバルの遺骨は火の中に投げ込まれた。

クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)

構造 高さが72.5mあり、かつては世界で最も高いミナレットであった。地震や落雷などで先端が崩れた後に修復しており、当初は100mほどの高さがあったという。直径は、基底部14.3mに対して先端部2.75mであり、文字どおりの尖塔である。