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4月, 2023の投稿を表示しています

景福宮(Gyeongbokgung)

概要 李成桂により1395年に現在の大韓民国ソウル特別市鐘路区世宗路1-56に置かれた朝鮮王朝の王宮。近代では、大日本帝国に併合された後に朝鮮総督府の庁舎が置かれた。韓国建国後は、敷地の一部に大統領府が置かれていたが、2022年に移転した。現在は景福宮の中心部に1867年に興宣大院君再建された勤政門や勤政殿などが現存し、建物の復元が進行中。

黄鶴楼(Yellow Crane Tower)

歴史 三国時代の223年、呉の孫権によって軍事目的の物見櫓として建築されたが、後には主に観光目的の楼閣になった。唐の765年に書かれた閻伯瑾「黄鶴楼記」に楼閣の盛大な様子を記している。

横浜マリンタワー(Yokohama Marine Tower)

全体概要 高さ106m。12,000トン。灯台を意識したデザインとなっており、実際に頭頂部には灯台としての機能も併せ持っていた。ギネスブックにも最も高い灯台として記録されていたが、実際に近隣を航行する船舶に対し灯台としての重要度はあまり高くなかった。改修工事の必要もあり、灯台の機能は2008年7月28日未明をもって休止し、9月1日に廃止された。

厳島神社(Itsukushima Shrine)

概要 広島県広島湾に浮かぶ厳島の北東部、弥山北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つに数えられている。平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている。

ウィリス・タワー(Willis Tower)

概要 屋根部分の高さ442m、110階建ての威容は、1973年の完成当時は世界一の高さを誇り、2019年にセントラル・パーク・タワーに超されるまで屋根部分のみならアメリカおよび西半球で最も高いビルだった。

ファニエル・ホール(Faneuil Hall)

特色~鐘~ 2007年に1週間かけ、固まった舌にWD-40を吹き付け、縄を付けるなどの修理を行なった。1945年、第二次世界大戦終戦を告げるのに鳴ったのが舌によって鳴った最後であるが、その後はバチを使用して何度か鳴らされていた。

国民の館(Palace of the Parliament)

概要 正式名称は「議事堂宮殿」であり、別名に「議会宮殿」、「人民の館」、「人民宮殿」などがある。正式名称はチャウシェスク政権崩壊後に改めて名付けられたものであるが、ルーマニア人は「国民の館」という旧呼称を一般的に用いている。

マラハイド城(Malahide Castle)

見学~展示施設~ 公園は2010年から2011年にかけて新しい管理体制の準備のため閉鎖され、その期間、以下の主要な展示2件は会場を移設した。そのうち1件は再開、もう1件は他所からの復帰を保留している。

ノートルダム大聖堂(Notre-Dam Cathedral, Luxembourg)

歴史 1613年から1621年まで、イエズス会修道士であるジャン・ドゥ・ブロークによって設計された。「ルクセンブルク市街:その古い町並みと要塞都市の遺構」として世界遺産にも含まれている。1935年から1938年まで、増築工事が施された。

タワーブリッジ(Tower Bridge)

経緯 19世紀後半、イーストエンド・オブ・ロンドンの商業発展のためロンドン橋の下流に新たな橋が求められた。しかし、ロンドン橋とロンドン塔の間にプール・オブ・ロンドンが存在し、入港の障害となることを避けるため固定された橋の建設はできなかった。この問題を解決するため1876年に設立された委員会は、デザインの公募を行い、テムズ川を横断する方法を模索した。50以上集まった提案に対する評価の議論は長引き、1884年に都市建築家であるホーレス・ジョーンズの設計が承諾された。

ヨーク・ミンスター(York Minster)

歴史 1075年、デーン人の侵攻で大聖堂は破壊され、1080年から再建が始まった。ノルマン様式建築であったこの大聖堂は、1137年の火災で損傷した。ゴシック様式による大聖堂建設が始まったのは12世紀半ばであった。大聖堂が現在の形となったのは、聖化された1472年であった。

ミラノのドゥオーモ(Milan Cathedral)

建築と美術~内装~ ドゥオーモの体積はフランスのボーヴェ大聖堂に次いで世界で2番目で、広さもバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次いで2番目となる。

モーレ・アントネリアーナ(Mole Antonelliana)

概要 1863年に建設が始まり、26年後の1889年、建築家の死後に完成した。当初はシナゴーグとして建設が始まったが、建築家の名誉心により途中で資金不足に陥り、トリノのユダヤ人社会はアントネッリを解雇した。

冬宮殿(Winter Palace)

外壁の色 建設時の外壁は薄い黄色だったが、その後、幾度となく様々な色で塗り替えられている。現在のような薄い緑色になったのは、1947年だが、エルミタージュ美術館の創設250年にあたる2014年に元の薄い黄色に復元させる予定である。だがこの計画には反対意見も存在している。

聖母大聖堂(Cathedral of Our Lady, Antwerp)

名称について アントウェルペンを含む現在のベルギー北部は、フラマン語圏である。しかしながら、歴史的にフランス語が公用語として用いられた経緯から、「ノートルダム大聖堂」が用いられることも多い。そのため、日本語文献でも「聖母大聖堂」「ノートルダム大聖堂」あるいは地名を冠して「アントワープ大聖堂」等の表記の揺れがある。

ハサン2世モスク(Hassan II Mosque)

概要 ハサン2世モスクは、その3分の1が海上に建てられた大きな海辺のモスクで、1993年に建てられ、非常に複雑な装飾が施されています。高さ210メートルのミナレットがそびえ立っています。

聖マルコ教会(St. Mark's Church, Zagreb)

概要 聖マルコ教会は聖マルコ広場に面していて、そこには国会議事堂、首相官邸、最高裁判所があり、クロアチアの国葬などの重要な行事はこの教会で行われる。

通天閣(Tsutenkaku Tower)

概要~基本構造と運営形態~ 現在の通天閣は二代目で、1956年に完成した。通天閣観光株式会社により運営されている。避雷針を含めた高さは108m。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手がけた内藤多仲。建設を施工したのは奥村組である。

鹿苑寺(Kinkaki-ji)

歴史 1397年、金閣寺の開祖である足利義満が河内国と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築を行い、当時は「北山殿」「北山第」などと呼ばれた。山荘の規模は御所にも匹敵し、政治中枢の全てが集約された。1394年に将軍職を子の義持に譲った義満だが、実権は手放さず北山殿にて政務を執っていた。

ワット・シーラッタナーサーサダーラーム(Wat Phra Sri Rattana Satsadaram)

概要 王宮の宮殿郡と接し、本堂にはエメラルド仏が安置されている。王室専用の仏教儀式の場であるため僧侶がおらず、僧侶が生活する庫裏などの施設がない。普段は観光地になっており、内外から毎日たくさんの旅行客が訪れる。

アヤソフィア(Hagia Sophia)

概説 アヤソフィア、あるいははぎあ・ソフィアと命名された教会堂建築は、ギリシアやトルコなど、かつての東ローマ帝国領内の各地に数多く残されているが、単にアヤソフィアと言った場合、イスタンブールのアヤソフィアを指すことが一般的である。元来の名称であるハギア・ソフィアはギリシア語で「聖なる叡智」を意味し、その中世の発音「アヤ・ソフィア」がトルコ語名「アヤソフィア」の由来である。

アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)

概要 1800年にオランダ総督ルブランがハーグで開いた展覧会が基礎となっている。当時は国立美術ギャラリーと呼ばれていたが、1808年にナポレオン1世の命によりアムステルダムに移転。1885年に現在の場所に移動した。

ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像(Bremen City Hall)

ブレーメン市庁舎 ブレーメン市庁舎には、自由ハンザ都市ブレーメンの参事会議長および市長が居る。この庁舎はヨーロッパにおけるブリック・ゴシック建築の最も重要な例証の一つである。

キングス・カレッジ・チャペル(King's College Chapel)

建築の歴史 このチャペルはキングス・カレッジで唯一、国王によって建築が開始された建物である。1446年よりヘンリー6世によって建て始められ、国王自身が7月25日に、聖ジェームズ祭において礎石を置いた。

自由の鐘(Liberty Bell)

19世紀の歴史、修復とひび割れ 1839年、ウィリアム・ロイド・ギャリソン著の奴隷制反対を訴えた出版物「ザ・リベレーター」のパンフレットが増刷され、その中に「ザ・リバティ・ベル」と題した詩が、載せられた。これは出版物において初めて、自由の鐘を意味する「リバティ・ベル」という名称が使用されたものとして知られている。

赤い城(Red Fort)

歴史 1857年のインド大反乱のとき、イギリスは軍の駐屯地として接収した。兵舎が建設されるなど、城内は大きく造り替えられた。インドの独立後も、近年まで軍の施設として使用されていた。

アル・サレハ・モスク(Al Saleh Mosque)

概要 嵐の宵、アル・サレハ・モスクの高さ90メートルを超すミナレットに明かりがともる。イエメンで最も壮麗なこのモスクは、4年前に約47億円を投じて首都サナアに建築された。名前の由来となった前大統領は、2012年に2月に辞任。33年間の独裁体制に幕を閉じた。

モンテカルロ劇場(Opera de Monte-Carlo)

沿革・概要 ラヴェルの歌劇「子供と魔法」を始め、プッチーニの「つばめ」、マスネの「ドン・キショット」「テレーズ」「ノートルダムの曲芸師」、ビゼーの「ドン・プロコーピオ」、フォーレの「ペネロープ」など、多くの作品がこの劇場で初演されている。

革命広場(Revolution Square, Havana)

概要 革命広場は、ハバナ新市街の中心部にある広大な広場です。この広場でメーデーなどの記念集会が開かれます。多いときには数十万人が集まるそうです。

アメリカ合衆国議会議事堂(United States Capitol)

沿革~大陸会議・連合会議の議事堂~ 1774年 - 1785年の間に、13植民地の代表が集まった会議場が当時の連邦首都とみなされている。ペンシルベニア州フィラデルフィアのカーペンターズ・ホールや、メリーランド州アナポリスの現在州議会議事堂として使用されている建物が、各州代表者の議会議事堂として使用された。

紫禁城(Forbidden City)

主な建物~外朝の外、皇城の南~ かつては紫禁城をとり囲む皇城と呼ばれる区画が存在したが、辛亥革命以降、皇城の城壁は次々に取り壊されて、現在はほとんど形跡をとどめていない。

アーザーディー・タワー(Azadi Tower)

概要 イランの首都テヘランにある塔。1971年にペルシア建国2500年を記念して建造。ペルシア語で「自由の塔」を意味する。高さ45メートル。逆Y字型の鉄筋コンクリート製。中心市街西部、アーザーディー広場の中央に建つ。

セント・ルイス大聖堂(Saint Louis Cathedral)

歴史 この場所に初めてカトリック教会が建てられたのは植民地時代の1718年のことである。初代聖堂は木造であったため、1725年に木とレンガづくりの二代目聖堂の建築が始められ、1727年に完成した。二代目聖堂は、1788年3月21日の聖金曜日に起こったニューオーリンズ大火で市内の多くの建物と共に焼失した。三代目にあたる現在の聖堂の礎石は1789年に据えられ、1794年に完成した。1793年にセント・ルイス大聖堂が司教座聖堂とされた。このため同聖堂は現存する司教座聖堂としては合衆国最古のものになる。1819年、時計を備えた中央の塔と鐘楼が付け加えられた。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Alexander Nevsky Cathedral, Sofia)

概要 アレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、ドームが交差するバシリカ建築で、特に中央のドーム部分が強調されている。金メッキされた聖堂のドームは45メートルあり、鐘楼を含めると50.52メートルの高さを誇る。寺院は総重量23に及ぶ12個の鐘を備え、その中でも最も重いものは12トンで、最も軽い鐘は10キログラムしかない。内部は様々な色で彩られたイタリアの大理石やブラジルのシマメノウ、アラバスターと豪華な素材で装飾されている。中央のドームは、天主経が薄い金の文字で彫刻されている。

ビートルズ・ストーリー(The Beatles Story)

展示 1990年にオープンしたビートルズ・ストーリーは、リヴァプールのアルバート・ドックとヘッド埠頭に位置する。展示内容は下記のとおり。

スカイタワー(Sky Tower)

アトラクションなど~スカイジャンプ~ 192mの高さから時速約85kmで約14秒落下し、着陸直前の数メートル前で速度を落とし着陸するアトラクション。バンジージャンプとは違い、上下さかさまに吊り上げられたり跳ね上がったりすることはない。

東方明珠電視塔(Oriental Pearl Tower)

デザイン 『上海東方明珠電視塔』には、大小合わせて11個の球体がデザインされている。球体は『明珠』をイメージしている。これは、設計者が、唐代の詩人白居易の長編の詩「琵琶行」の一節からインスピレーションを得たといわれている。その一節とは、以下である。

中国銀行タワー(Bank of China Tower)

概要 中国銀行は1917年、香港に設立された。なお中国銀行は、2001年に中華人民共和国の中国銀行から独立して別法人となった。

オクタヴィオ・フリアス・ジ・オリヴェイラ橋(Octavio Frias de Oliveira Bridge)

概要 二車線の道路が立体交差するX字型の橋である。二本のカーブしている道路を一本の主塔で支える世界で唯一の構造を有する橋である。全長1,600m、主塔の高さは138mである。

CNタワー(CN Tower)

名前の由来 名前の"CN"は、同塔を建設したカナディアンナショナルという鉄道会社の名前から取られているが、1995年の民営化に先立って非中核貨物鉄道を売却する決定を下した後、同塔は連邦政府機関に譲渡された。

シベーレス広場(Plaza de Cibeles)

由来 最初はマドリード広場と単に呼ばれていた。シベーレス広場の名は、広場中央にあるシベーレスの噴水にちなみ名づけられた。シベーレスとは、ギリシャ神話の女神キュベレのスペイン語名である。1900年にマドリード市は広場をカステラル広場と改名したが、すぐにもとの名前に戻された。

グローマンズ・チャイニーズ・シアター(Grauman's Chinese Theatre)

大衆文化~テレビ~ テレビドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」のとあるエピソードは、ルーシーとエッセルがシアターを訪れた際、ジョン・ウェインの手形が刻印されているセメントブロックがゆるいことを発見し、お土産として家に持って帰ろうと試みる。その次のエピソードでは、彼らがジョン・ウェインと会い、元の場所に戻そうとする。また、「じゃじゃ馬億万長者」のあるエピソードでも、シアターの外に手形や足型を置くというシーンがある。

レーマー広場(Romerberg)

概要 ドイツ中西部、ヘッセン州の商工業都市、フランクフルト中心部の旧市街にある広場。広場に面して並ぶ、切妻屋根のゴシック様式木造建造物三つのうち、中央にある旧市庁舎がレーマーと呼ばれることから、その名が付いた。レーマーベルク。

ケルン大聖堂(Cologne Cathedral)

建築様式 1248年、カロリング朝のケルン大聖堂が大火で焼失したあと、すぐに新大聖堂の定礎が行われた。建築構想は、それまでアミアン、パリ、ボーヴェなどの大聖堂を見て回り、ゴシックの技術と造形を学んできたゲルハルト・フォン・ライルという工匠が行った。彼が集めた各地のゴシック建築の記録は、当時、同時代のフランス人建築家ヴィラール・ド・オンヌクールの画帖に匹敵するものといわれてきたが、現存していない。

チューリッヒ美術館(Kunsthaus Zurich)

沿革 1910年に開館して以来、数度に渡って増設工事が行われ、2001年から2005年にも全面改修された。増大するコレクションを展示するため、新たな大規模な拡張計画が予定されている。

キエフ・ペチェールシク大修道院(Kyiv Pechersk Lavra)

修道院の管理 大修道院の敷地は、キエフ・ペチェールシク歴史文化国立保護館の管理下にある部分と、モスクワ総主教の庇護下にあるロシア正教会系のウクライナ正教会が賃貸契約のもとで利用している部分とに分かれていた。

リアルト橋(Rialto Bridge)

公序良俗を維持するための条例 2019年、市議会は公序良俗を維持するための条例を可決。リアルト橋など特定の場所における戸外での飲食、噴水での水浴び、公共の場で上半身裸になることなどを禁じた。同年中に橋付近でコーヒーをドリップしていたドイツ人観光客が摘発され、罰金刑が課せられたうえ市外への退去が勧告されている。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Florence Cathedral)

概要 巨大なドームが特徴の大聖堂は、イタリアにおける晩期ゴシック建築および初期ルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルとなっている。石積み建築のドームとしては現在でも世界最大である。このドームは予算削減と耐久性を考慮し、二重構造のドームで互いを押し合う設計になっており、木枠を使わずに煉瓦を積み上げて製作している。

横浜赤レンガ倉庫(Yokohama Red Brick Warehouse)

歴史~横浜港の接収と新港埠頭の停滞~ 赤レンガ倉庫を含む新港埠頭は、1942年の横浜港ドイツ軍艦爆発事件や1945年の横浜空襲での破壊を避けられ、第二次世界大戦終戦後の1945年に、連合国軍に接収され、横浜税関に連合国軍最高司令官総司令部が置かれた。

原爆ドーム(Atomic Bomb Dome)

被爆以後の歴史~「原爆ドーム」としての再出発~ 広島の復興は、一面の焼け野原にバラックの小屋が軒を連ねる光景から始まった。その中でドーム状の鉄枠が残る産業奨励館廃墟はよく目立ち、サンフランシスコ講和条約により連合軍の占領が終わる1951年ごろにはすでに、市民から「原爆ドーム」と呼ばれるうようになっていた。