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ロクルム島(Lokrum)

歴史
ロクルム島が最初に言及されたのは1023年のことで、ベネディクト会の修道院が設立されたことに始まる。ロクルムの名称はラテン語のacrumenから来ており、酸っぱい果実を意味する。これは伝統的に外来の植物が島で栽培されていたことに関連し、ベネディクト会が始めていた。1808年になるとベネディクト会は島から離れることになる。地元の言い伝えによれば、最後の夜に修道士たちは誰もが自分の将来を探し求めるように島に呪いをかけていると言われている。伝説によれば、1192年にイングランド王リチャード1世は十字軍の遠征の帰途で船が難破したが安全にロクルムの岸に漂着したとされ、このことによる信仰心から島に教会を建てることにした。しかし、ドゥブロヴニク市民の嘆願から本土の近隣に代わりに建てられた。

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