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8月, 2023の投稿を表示しています

元老院広場(Senate Square, Helsinki)

由来 この場所には、1640年代にはすでに、市庁舎の他に、墓地や教会などが存在しており、墓地と教会については、1820年代末期まで存在していた。1640年代に建てられた教会は、火災によって破壊されている。

サミュエル・ベケット橋(Samuel Beckett Bridge)

構造 建築家のサンティアゴ・カラトラバが橋の設計者を集めた。サミュエル・ベケット橋はカラトラバが設計したダブリンで2番目の橋で、最初の橋はさらに上流にあるジェームズ・ジョイス橋である。

オスロ市庁舎(Oslo City Hall)

概要 オスロ市庁舎は、オスロの中心部にあるピーペル湾に位置している。この地域一帯は1920年代後半、新しい市庁舎の部屋を建造するために、完全に改装・再建が行われた場所である。

イマジン・ピース・タワー(Imagine Peace Tower)

解説 塔には“世界最北に位置する首都から「平和の光」を発信し、世界を包み込む”という意味が込められている。

グローナルンド遊園地(Grona Lund)

概要 ヨーテボリにあるリセベリと並んで、スウェーデンでは第二の規模の遊園地である。「グローナルンド」は、直訳すれば「緑の島」の意である。

ロンビエン橋(Long Bien Bridge)

歴史 1980年代半ばまで鉄道をはじめ自動車やバイク、自転車、歩行者のすべてが利用できたが、1986年のチュオンズオン橋の完成後は、一時、自動車とバイクの通行は禁止された。その後、チュオンズオン橋の渋滞のひどさを解消すべく、2005年以降は再びバイクのみ通行が許可されている。

インセイン刑務所(Insein Prison)

概要 ミャンマーの民主運動指導者であるアウンサンスーチーが収容されたことで知られるほか、ミャンマーの軍事政権に従わない多くの政治犯や活動家が収容されている。また、所内は劣悪な衛生状態となっており、拷問や虐待なども日常的に行われていることから、アムネスティ・インターナショナルには強く批判されている。

ジム・トンプソンの家(Jim Thompson House)

概要 アメリカの実業家でタイのシルク王ジム・トンプソンが、マレーシアのキャメロン・ハイランドで謎の失踪を遂げる直前まで住んでいた家。1950、60年代に彼がタイ各地で集めてきた種々の建築様式が取り入れられている。

ニュージーランド準備銀行(Reserve Bank of New Zealand)

歴史 1989年ニュージーランド準備銀行法1989に改訂され、それまで財務省が所管してきた金融政策を準備銀行へ移管しニュージーランド政府100%所有の認可法人となる。

プラナルト宮殿(Palacio do Planalto)

建築 設計はブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤー。三権広場を囲む国会議事堂や連邦最高裁判所も彼が設計したため、非常に調和のとれた景観が形成されている。宮殿の正面には玄関に通じるスロープや演説台があるが、これらが使用されるのは大統領就任式や国賓を迎える時だけである。通常、大統領は裏口から中に入る。

オーストラリア国立美術館(National Gallery of Australia)

歴史 美術館の創設の運動を行ったのはオーストラリアの画家、トム・ロバーツで、1901年にオーストラリアの初代首相となったエドモンド・バートンや歴代の首相に働きかけ、5代目の首相、アンドリュー・フィッシャーがその計画を承認し、1911年に国会に委員会が造られ、オーストラリア人の肖像画などが集められることになった。「連邦芸術諮問委員会」が造られ美術品の購入が行われた。1912年から展示する建物の建設は課題となっていたが、2回の世界大戦やその間の不況などで実現せず、計画が具体化したのは1960年代になってからで、1967年に創立された。

ヒジャーズ駅(Hejaz Railway Station)

概要 当駅は、ダマスカス市街の中心部にあった主要駅であり、マルジェ広場の近くにあった。当駅は、スペインの建築家であるフェルナンド・デ・アランダによって設計されている。

アルシャヒード・モニュメント(Al-Shaheed Monument)

デザイン イラクの彫刻家であり芸術家であるイスマイル・ファタ・アル・タークによってデザインされ、イラクの建築家であるサマン・カマルとバグダッド建築グループと共同で建てられ、1983年に一般公開された。

イラン国立博物館(National Museum of Iran)

概要 国立博物館は1935年に建設が開始され、1937年に開館。建物は古代イランのレンガ造り。イランの歴史の資料が収蔵されている。

ロサンゼルス市庁舎(Los Angeles City Hall)

概要 高さは454フィートの32階建てで、特徴的なタワーの形状はマウソロス霊廟に基づいており、市庁舎の建設開始直前に完成したロサンゼルス中央図書館の影響を受けている。

リュステム・パシャ・モスク(Rustem Pasha Mosque)

概説~外装~ このモスクは商店街の2階に建てられており、商店街に入居している店舗の資料はモスクの維持に役立てられている。Hasircilar通りに面したアーチをくぐり、細く、曲がりくねった階段を上ると、モスク横の広い中庭へと続いている。2つあるモスクの入口には、5つのドーム状の庇がある。

月牙泉(Crescent Lake, Dunhuang)

概要 1000年以上にわたり砂に埋もれることなく景観を変えずにいたが、20世紀後半に入り急速な周辺の環境悪化により水位の低下が激しくなり、水域も縮小し始めた。このため、敦煌市などによる月牙泉応急保全プロジェクトが取り組まれている。

アーグラ城塞(Agra Fort)

歴史 アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」に幽閉してデリーに移った。

パレ・デ・ナシオン(Palace of Nations)

歴史~計画と建設~ 1920年代に行われた建築コンペでは、このプロジェクトが次のように説明されている。

アッタロスの柱廊(Stoa of Attalos)

概要 紀元前2世紀、ペルガモンの王アッタロス2世が、アテナイで学問を学んだことに対する謝礼してアテナイに寄贈したものである。267年にローマ帝国に侵入したヘルール族により破壊されるまで使われていた。その後、アテナイのアゴラ内の博物館の建物として再築された。この再築は古代建築物を忠実に復元考古学上重要な出来事とされる。

聖ゲオルギオス教会(Church of St. George, Cairo)

概要 教会は10世紀またはそれ以前にさかのぼる。15世紀まではコプト教会であった。西暦1世紀頃のローマ時代に築かれたバビロン要塞の場所に位置しており、現在の建造物は19世紀末の火災後、1904年に再建された。

広島平和記念資料館(Hiroshima Peace Memorial Museum)

概要 中島町の広島平和記念公園敷地内に所在し、広島原爆の惨状を後世に伝えるための施設として当初は「広島平和会館原爆記念陳列館」の名称で開館した。運営は広島市出資の公益財団法人広島平和文化センターが行っている。

サン・カルルシュ国立劇場(Teatro Nacional de Sao Carlos)

概要 メイン・ファサードには、ポルトガル国家の紋章の飾られた時計、アーチを描くエントランス・ホールがある。劇場の名前は、1790年にジョアン王子と結婚したスペイン王女カルロッタ・ジョアキナの名前にちなんで名付けられた。「カルルシュ」は、「カルロッタ」の男性形である。

ワジェンキ公園(Lazienki Park)

概要 公園内の池の脇には、ワジェンキ宮殿が建っている。

党創立記念塔(Monument to Party Founding)

概要 塔の思想性、芸術性は彫刻とレリーフ文字によって一層浮き彫りにされています。3つの基本となる塔を囲んでいる円形の帯の内側には、党の歴史のルーツと党と人民大衆の一心団結の威力を表す造形芸術の面でパーフェクトな3つの大きなレリーフ像があります。

聖アンナ教会(Church of St. Anne, Vilnius)

概要 聖アンナ教会の美しさは、かのナポレオン1世をも魅了しました。1812年ロシア遠征の途中ヴィリニュスに入城したナポレオン1世は、聖アンナ教会を見て「手のひらに載せて、パリにそのまま持ち帰りたい」と語ったといいます。

エルミタージュ美術館(Hermitage Museum)

概要 小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場、冬宮殿の5つの建物が一体となって構成されており、現在本館となっている冬宮殿はロマノフ朝時代の王宮である。

美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)

沿革 コレクションの起源はマクシミリアン1世まで遡ると言われ、以降、歴代君主の収集品が追加され、1659年には世界初の収蔵品の図版入りカタログも製作された。

ザグレブ大学(University of Zagreb)

歴史~イエズス会学校~ 学校はイエズス会員らによって運営され、この体制はイエズス会が1773年に教皇クレメンス14世によって解散されるまで1世紀以上続いた。1772年に新体制が執行された時点での学生数は約200人であった。

マーチャーシュ聖堂(Matthias Church)

概要 13世紀半ば、ベーラ4世によってゴシック様式の教会として建てられた。ブダ城内に建てられた際に「聖母マリア聖堂」と名付けられたが、後の1479年に南の塔の建造を含む増築を命じたマーチャーシュ1世の名で今日まで広く呼ばれるようになった。

シャルロッテンブルク宮殿(Schloss Charlottenburg)

概要 プロイセン王・フリードリヒ1世が1699年に妃ゾフィー・シャルロッテのための建設。最初は「リーツェンブルク宮殿」および「夏の館」と呼ばれていたが、ゾフィー・シャルロッテの死後に彼女を偲んで改名された。大戦時1943年に空襲で被害を受けたが、現在は復元されている。

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(Santa Maria della Salute)

歴史 政府は毎年11月21日の聖母マリアの祝日を祝って教会を訪問することを決めた。これはマドンナ・デッラ・サルーテ祭として市の公式行事であり、サルーテのあるサン・マルコ地区からドルソドゥーロ地区まで黒死病撃退を記念する行進が続く。カナル・グランデ上の海は、特別に舟橋の上を渡っていくことになっており、今も主要行事の一つである。

マニラオーシャンパーク(Manila Ocean Park)

概要 2008年3月1日に開園した東南アジア最大の水族館で、ホテルH2Oや商業施設、レストランを併設している。リサール公園に隣接するキリノ・グランドスタンドの裏手にあり、マニラ湾に面している。

カサ・バトリョ(Casa Batllo)

概要 第二の解釈は屋根をアルルカンの帽子に見立て、ファサードのバルコニーは仮面を、ジュゼップ・マリア・ジュジョールによる様々な色の破砕タイルのモザイクが祭りの紙吹雪を表しているとする謝肉祭説である。

ムント塔(Munttoren)

歴史 17世紀までアムステルダムではシンゲル運河沿いに城壁が築かれ、街を取り囲んでいた。17世紀になり街は発展し城壁が取り払われたが、この塔だけが残された。後にこの塔の上に時計台が取り付けられ現在の姿となった。基の塔自体は15世紀頃に建てられたものである。

極東博物館(Museums of the Far East)

歴史 植民地政策に熱心だったレオポルド2世は、植民地獲得の気運を高めるため、アジア・アフリカに関する屋外民俗博物館の建設を思いつき、パリ万博の「世界旅行パノラマ」で見た五重塔の移築を計画する。それらを手掛けたフランス人建築家、アレクサンドル・マルセルから五重塔の設計図を1901年に購入し、1904年に完成、翌年公開した。扉や外壁など一部の装飾を横浜の職人に造らせてはいるが、建物自体はマルセルの設計図に基づき、西洋人の手で建設されているため、独特な和洋折衷の建物になっている。

サクレ・クール寺院(Sacre Coeur, Paris)

モンマルトルのサクレ・クール寺院 教会の鐘は通称サヴォアと呼ばれ、1895年にサヴォワ地方で造られた。重さ約18トンの、世界最大級の鐘である。

ホリールード宮殿(Holyrood Palace)

僧院~ホリールード寺院~ 1128年にデイヴィッド1世が宮殿を建設させた地には、廃墟と化したアウグスティヌス派の寺院があった。寺院では、かつて多くの戴冠式や王族の結婚式が挙げられていた。修道院の屋根の一部が廃墟のまま、現在も残っている。

本能寺(Honno-ji)

歴史~日承上人・本能寺の変~ 日隆の開山以来、尼崎の本興寺とともに山号はなく両山一貫主制ををしていたが、その後、歴代貫主が地方に布教し、日承の時代には末寺が畿内、北陸、瀬戸内沿岸諸国さらに種子島まで広布し、本能寺を頂点とする本門流教団が成立した。

シルヴァン・シャー宮殿(Palace of the Shirvanshahs)

概要 シルヴァン朝の君主が住んでいた宮殿で、バクーでもっとも有名な名所。

ディヴィニティ・モスク(Mosque of Divinity)

概要 モスクの近くには漁村があり、新鮮なシーフードを堪能することもできます。また、モスク近くのベイエリアであるコルニッシュはダカールのセレブな地域として有名で、大使公邸や素敵な邸宅、高級ホテル、大きなショッピングモールなどが並びます。また、絶叫マシンがある家族連れやカップルに人気の遊園地も近いので、中心部からちょっと離れた場所を拠点にダカール観光をしたい人にもオススメです。

ブレラ美術館(Pinacotera di Brera)

沿革 ブレラ美術館の建物は、17世紀に建てられたイエズス会の施設であった。これを、1772年、当時ロンバルディア王も兼ねていたマリア・テレジアが入手した。ここに1776年、美術アカデミーが設置され、絵画の収集が始まった。

ヘッダール・スターヴ教会(Heddal Stave Church)

伝説 ヘッダール・スターヴ教会には、この教会がわずか三日間で建てられたという伝説がある。ヘッダール村に住む5人の農夫が、この地に教会を建てようとしていた。

アマリエンボー宮殿(Amalienborg)

概要 女王の滞在中にはデンマーク近衛兵が、午前11時30分にローゼンボー城からコペンハーゲンの通りを通過し、正午にはアマリエンボー宮殿の前で衛兵交代する。宮殿前広場は市民に開放されており、衛兵交代式も観光行事となっている。また、1863年から1947年までの国王たちが使用していた寝室や持ち物などが公開されており、当時の王室の暮らしぶりを知ることができる。

エルサルバドル大学(University of El Salvador)

沿革 1980年6月26日に、大学は再び軍事勢力により占領され、3年もの間占拠は続いた。1986年10月10日に起きた地震では、サンサルバドルにある大学のキャンパスのインフラストラクチャーに深刻な被害が出た。国内内戦の期間中は、エルサルバドル大学にとっての衰退の時代を余儀なくされた期間でもあった。

アラモアナセンター(Ala Moana Center)

概要 アラモアナセンターの所在するホノルル市アラモアナ地区はかつて湿地帯と池であり、アヒルの養殖などが行われていた。アラモアナセンターはこの地に、1959年10月に開業した。

国立人類学博物館(National Museum of Anthropology, Mexico)

歴史 先コロンブス期に、すでにナワ族は、自分たちに先立つ文明への興味を持ち、遺跡やピラミッドを発掘して品物を集め、磨いたり色を塗るなど、自身の宗教文化の要素を加えて再利用していた。

東京国際空港(Tokyo International Airport)

歴史~東京オリンピック~ 1960年代に入ると、1964年東京オリンピックのための空港設備の整備拡張が行われた。旅客ターミナルが増築されたほか、旧A滑走路が3,000mに延伸され、旧C滑走路の新設、東京モノレールの乗り入れや貨物や検疫施設の拡充などが行われ、旅客ターミナル向かいに初の空港敷地内ホテルである羽田東急ホテルがオープンした。また、1963年には、航空業界と空港の守り神として、旅客ターミナルに羽田航空神社が建立された。

主体思想塔(Juche Tower)

概説 また主体思想塔の正面の川の中ほどには噴水があり、主体思想塔と同じ高さ170メートルの噴水を吹き上げている。

コロンボ国立博物館(Colombo National Museum)

概要 1877年に当時のイギリスのセイロン総督であったウィリアム・ヘンリー・グレゴリーによって作られた博物館であり、スリランカ国内では最も古くに作られた博物館であると同時に、もっとも大きな博物館である。