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12月, 2023の投稿を表示しています

サイエンス・ミュージアム(Science Museum)

歴史 1857年今日のサイエンス・ミュージアムが設立された。それ以前は、ケンジントン・ミュージアムと呼ばれていた。その当時のミュージアムは、向かいにあるヴィクトリア&アルバート博物館の一部で、1909年に独立の施設となり、1913年リチャード・アリソン館に移転した。プリンス・アルバートとサー・ヘンリー・コールが経済的な支援をして1851年の「大博覧会」の展示物からコレクションを築き上げるのを後押しした。1964年に博物館が二分されて以来、こちらの館は、公式には、国立サイエンス・インダストリー・ミュージアムという名称となっている。

ロイヤル・ビクトリア・ホテル(Royal Victoria Hotel, Pisa)

歴史 1837年、ルッカ公国籍で1794年生まれだったパスカーレ・ピエガーヤが塔屋と付属の建物を買い入れ、かつての宿屋を改装して「ホテル・ロイヤル・デ・ラ・ヴィクトワール」と称した。以来、ピエガーヤ家がこのホテルを経営し続けた。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(Galleria Vittorio Emanuele II)

伝説 十字路の交わる付近に青いタイルで囲まれた牡牛のモザイクがあり、その股間部分がやや窪んでいる。この窪みに踵を合わせてクルリと一回転すると幸せが訪れる。旅行者は再びミラノに戻れる等の言い伝えがある。トレビの泉等と異なり一人ずつしかできないので観光シーズンには行列ができる事も珍しくない。一日に数千回も踵で踏みつけられるため損傷も激しく頻繁に修復もなされているが、修復直後の新品でも股間にはあらかじめうっすらと窪みが付けられている。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(Santa Maria Novella)

ファサード サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の大理石ファサードは、ルネサンス以前に建設が開始され、ようやく1920年に完成したとはいえ、フィレンツェ・ルネサンス期の最も重要な建築作品の一つに数えられる。着工は1350年頃、2年前に没したトゥリーノ・デル・バルデーゼなる人物の遺産のお陰でファサード下部が白色と緑色の大理石により化粧されたことに遡る。上部の丸窓は1367年に開けられた。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(San Giorgio Maggoire, Venice)

外観 教会正面は明るい白を基調としており古典主義様式をの様相を呈しているが、高さのある身廊と低い側廊をもつ教会へとうまく融合している。これは建築を担当したパッラーディオが苦心した部分であり、2つの正面部分を組み合わせた結果である。大きく広がった切妻を使った正面部分を側廊の部分まで覆い、その上に4つの巨大な柱をもった身廊の部分のみを覆う狭い切妻の正面部分を乗せることで解決している。

パラッツォ・ファルネーゼ(Palazzo Farnese)

歴史 バニスター・フレッチャー卿が「16世紀のイタリア建築においては最も壮大で素晴らしい建築がある」と評したこの建物は、ドナト・ブラマンテの下でサン・ピエトロ大聖堂の建造に携わったアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネの設計。妹ジューリアが教皇アレクサンデル6世の愛人となったという事もあり、1493年に枢機卿に抜擢されたアレッサンドロ・ファルネーゼの命で1~2年の準備期間の後、1515年から建造がはじまったが1527年のローマ略奪の時には作業は中断に追い込まれた。

ルートヴィヒ美術館(Museum Ludwig)

概要 1977年には、グルーバー・コレクションによる写真部門が加わり、現代美術を振興する取り組みがなされ、2000年代以降の作品も収蔵している。

ドレスデン美術館(Staatliche Kunstsammlungen Dresden)

概要 ツヴィンガー宮殿には、アウグスト強健王によるコレクションである中国製陶磁、日本の古伊万里やドイツのマイセン陶磁が約30,000点収蔵されていることで知られる。日本の「柿右衛門様式」の分類は、1721年に、呼称は別として、このコレクションによって行われていたことが指摘されている。

ハンブルク港(Port of Hamburg)

歴史 北ヨーロッパ圏で交易が盛んになった1189年5月7日に開港した。フリードリヒ1世からエルベ川での関税を徴収する特権が与えられ、中世都市の自由貿易連合体であるハンザ同盟の最も重要な北海沿岸港として、穀物、織布、毛皮、ニシン、香料、木材、金属の積替地となり発展を遂げた。アメリカ大陸の発見とアジア航路が開通した16世紀中頃以降、欧州で最も重要な貿易港となった。

ドイツ建築博物館(German Architecture Museum)

歴史 ドイツ建築博物館は、もともと1912年に建てられた別荘。1979年、芸術・建築史家のFritz Geldmacherはドイツ建築博物館の設立を進め、初代館長を務めた。建築家のUngersに改造するよう依頼した。博物館は1984年6月1日に開館した。初めの展示は「現代主義的な修正」。

オデオン広場(Odeonsplatz)

概要 旧市街北部のルートヴィヒ通り南端にある。東はミュンヘン・レジデンツ、西は旧オデオン劇場とテアティーナー教会、南はフェルトヘルンハレに面している。

赤の市庁舎(Rotes Rathaus)

概要 この市庁舎はヘルマン・フリードリヒ・ヴェーゼマンによって1861年から1869年の間に北イタリアの盛期ルネサンス様式にて建造された。今日のポーランドに属するトルンの古い市庁舎をモデルとし、塔の建築様式はフランスにあるラン大聖堂を偲ばせる。通りのブロック全体に沿って建っていた中世からの建築の多くを取り壊して建てられた。

ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院(Notre-Dame de la Garde)

概要 標高161mの丘の上に建つロマネスク・ビザンティン様式の教会は、マルセイユ市内からだけでなく海上からも見える街のシンボルのような存在です。

リヨン高等師範学校(Ecole normale superieure de Lyon)

歴史 男子校のサン=クルー高等師範学校と女子校のフォントネー=オー=ローズ高等師範学校が合併して成立。第二次世界大戦前は、高等教育機関の教員ではなく、高等小学校の教員を要請していた。

リール自然史博物館(Musee d'Histoire Naturelle de Lille)

概要 市街地の建物郡に溶け込んだ自然史博物館です。比較的小規模ですが、恐竜や昆虫、剥製など迫力ある展示があります。

シャイヨ宮(Palais de Chaillot)

概要 旧トロカデロ宮と同じく、湾曲した双翼の形をしている。この双翼は旧宮殿の基礎の上に建てられている。しかし旧宮殿と違い中央部が無く、両翼は離れている。そのかわりにトロカデロ広場からエッフェル塔方面への眺瞰が確保されている。